空間情報科学としての最適配置の理論は、任意の空間に持ち込まれた複数の因子が、一定の条件下で最適に配置される状態とはどういったものか、それを導き出す考え方である。その具体的な事例を岡部篤行・鈴木敦夫氏による著作からひけば、たとえばある地域に郵便ポストを最も効果的に配置する方法(平均距離を最小にする施設配置)、移動図書館が最も効果的に活用されるための方法(移動施設のサービス停留点を最適配置する問題)、定期市の場所が決定されるための理論(周期的にサービスする施設の最適配置)、海岸におけるアイスクリ−ム屋台の立地競争または市場での立地競争(立地競争)などの問題があり、様々な前提におけるその活用が説明されている。
 一方これを歴史的事象に置き換えてみれば、地域の社会を構成する個々の集落は、一定の条件下における相対的な社会力学によって結果的に最適に配置された因子であるか、またはある時期、その地域において安定した均衡状態にあった一断面なのである。そして一般の最適配置の理論は、一度それが決定されれば大きな外的な要因がなければ変更されることはないが、歴史的事象である地域における町・村・都市は、それぞれの住人の思惑により、その内部からいともたやすく均衡状態がくずれ、再び新たな均衡状態に達するまで最適配置を模索する。これが村落移動の広義におけるメガニズムであると考えるのであるが、今ここで最も求められるのは、そのような村落間の社会的な力学関係がどのようなものであり、その内の何がその地域の均衡に重要視され、その結果何が次の因子として均衡を破ることになり、村が移動したのか、である。それは農耕だけではないだろうし、流通だけでも説明には不十分、もちろん政治的な問題や慣習や文化といったものも関わってきているに違いないのである。
 中世の地域社会とは、移動するに至ったそれぞれ別の事情をもっている複数の村落が、有機的につなぐなんらかの利害関係の下で、そのそれぞれの個性にしたがって、地域全体に調和のとれる適切な役割を果たすことによって成立していたと考えられるものであり、その変遷とは、このように多様な価値観をもった村落が、当然予測される外的要因としての例えば支配体制の変更または、内的要因としてのなんらかの紐帯の崩壊によっておこる、個々の村落の役割のバランスがくずれた時の現象を示すものなのである。
 その意味で強大な権力構造と言われている部分も、広義においては相対的な社会力学で説明される一つの因子にすぎないものと言える。これはこれまで考古学がおこなってきた集落個々の普遍的な類型化作業とその変遷過程の整理だけでは、表現することのできない問題であり、その説明こそが、たとえば支配構造や流通経済、そして中世社会を律した制度的な部分を、より具体的で新しい形にして発言していけるものであると考える。
 したがって、そのような地域における社会的な役割のバランスから結果的にうみだされた最適配置または均衡配置は、それを起点とし、いくつかの条件を整理する中でシミュレーションして遡及することにより、そのような配置がいったいどのような条件によってとられたのであるかを、説明できるものになると考えられる。たとえば郵便ポストの最適配置は、人口密度を単位あたりの収穫高に、ポストを集落に置き換えることによって、適切な収穫高を得るための集落の最適な配置を計算することができるであろうし、移動図書館を水路と灌漑に置き換え、読者を耕作地に置き換えれば、結果的に現出している最適な水路網に対して、それを生み出した耕作地の位置が復原できるのではないかとも考えられ、立地競争は、まさに村落が耕地と生産の拡大を求めて最も有利な場所を求めて移動を繰り返した結果を分析する作業なのである。
 ここではその一例として、明治の仮製地図にみえる村落配置のボロノイ図と古代郷の配置のボロノイ図を作成してみた。明治の仮製地図の場合は、それぞれの村落の村高と人口と範囲を加える必要があるが、仮に農耕を基準とするならば、一定の収穫高を得たそれぞれの村落は、均衡した配置を見せることになるはずである。しかし現実の村落配置はそれと異なり、それが農業生産以外でこれらの村落の位置を規定した条件を示しているものと考えられる。それが何であるか。再生産基盤を含めたあらゆる異なった社会環境がそれぞれどのような最適配置を生み出したのか、検討はまだ始まったばかりである。今後条件が整えば、これらの図に水路・道・耕地・城・寺社・条里の施行単位・文献史料・民俗資料など様々な要素をとりこみ、試行錯誤を進めてみたいと考えている。
実験・中世集落の適正配置
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