普賢寺谷館群の概要
みんなも知っているように、京田辺キャンパスは遺跡の宝庫です。それは、この普賢寺谷周辺が、木津川の南北ルートと普賢寺谷から宇治田原に抜ける青谷の東西ルートの交差点として、南山城で最も重要な場所だったことを示すのだけれど、普賢寺谷の館群は、そんな普賢寺谷を見下ろす南北の斜面の尾根を利用して作られています。絵図によればその数は20を越えます。これはもう大都市?
さて、中世の館ってどんな姿をしているのだろうかというと、教科書に載っているのは、大体周りを堀と土塁で囲まれて、中に何軒かの家を構えたもの。そしてそういった館がたくさんあつまって町がつくられる。基本的にはこのイメージで正しいと思うんだけれど、普賢寺谷の館群の場合はその立地が特徴的で、尾根を削って平らにした場所をいくつか作って、そのそれぞれの場所に屋敷を設けているのです。一見すると山城のようですが、そこまで平地との高さの差は無いので、城というよりも館になると思います。あるいはこの谷全体を大きな城とみたてて、個々の館はその郭といった関係なるかもしれないけれど、こういった例は全国でも珍しいものです。
京田辺キャンパスを開く前に、今のTC-2あたりにあった「都谷館」が調査され、15世紀後半から16世紀の陶磁器が発見されています。