考古学と学際研究
 かねてより考古学は、その学問としての独自性を維持しながら、同時に文献史学や民俗学などの歴史系諸科学と、常に連携した研究をおこなってきた。
 森浩一氏は、すでに昭和三十年代以来、文献史料や民俗資料の研究をあわせた古代学を提唱し、網野善彦氏や石井進氏らも中世史から積極的に考古学へアプローチし、『考古学と古代日本』(中央公論社)、『日本民俗文化大系』(小学館)、『海と列島文化』(同)のシリーズや、国立歴史民俗博物館の諸研究をはじめとする多くの研究会と著作により、その重要性と成果を示してきた。
 今や歴史学は、かつてのように専門を特化させ、それぞれが個別に研究をおこなう学問ではなく、それぞれの最も得意とする研究法を互いに有機的に関連付けた研究へ確実に転化してきている。そして考古学は、人間の生活にとって最も基本となる遺跡を対象とした学問であるため、その元来持っていた学際研究的な特質により、歴史研究が大きく変わろうとしている現在、その核としての役割を担おうとしている段階にある。
 ところでこのような隣接諸科学との共同研究や協業は、歴史系諸科学だけではなく、周知のように自然系諸科学とのあいだでも、通有におこなわれてきた。
 例えば中世の窯業生産に関わる研究をみれば、陶磁器は各地で窯跡が発掘され、その豊富な資料を基に、生産に関わった人々の生活と社会を復原する研究がおこなわれ、この研究がこれまでの中世史を見直す大きな原動力となった。しかし土器は、それを焼いた窯が小規模で残りにくいため、陶磁器に比べて不明な部分が多かった。
 そこでこの問題を解決するために採用されたのが胎土分析である。およそ鎌倉時代の後半以降に河内と和泉でつくられた瓦質焼成の釜と擂鉢と甕の微量成分も含めた胎土分析は、それらの詳細な型式分類との対照により、少なくとも八か所の生産地と、時代と器種においてそれぞれが独自の生産体制をとっていた可能性を示した。
 同様に大坂城下町下層の墓から発見され隆平永宝の蛍光X線分析は、その成分組成の類似から、被葬者像を復原する大きな手がかりとなった。
 また縄文時代前期を中心とした長崎県伊木力遺跡の調査は、火山灰・岩石学・動植物遺存体・微化石などさまざまな専門の研究者の参加により、具体的で多彩な遺跡復原の方法と可能性を我々に示してくれた。
 さらに相対年代が一般的な考古学にあって、古地磁気・放射性炭素・年輪などによるさまざまな年代測定法が、実年代の付与に大きな貢献を果たしたのは言うまでもないことである。
 しかしその一方でこれらの隣接諸科学と考古学の関係がすべてうまくいっているわけでないことも、現場の研究者達は常に実感してきた。歴史系共同研究の過程で生産的な議論がなされても、それが直接成果に反映され難いことや、自然系諸科学による分析結果の採用に際して、その分析に対する理解が十分でないために、その結果が歴史研究に与える意義を生かしきれない場合や、その結果の解釈をめぐって考古学の内部で見解の相違が生じる場合などなどである。
このような状況は、何に起因するのであろうか。最も大きな原因は、共有すべき情報が未だ不足していること、そしてその情報がそれぞれ違った場所から、違った言語で語られているところにあるのではないかと思う。さらに自然科学との関係についてみれば、分析結果を軽視するつもりはけっしてないが、考古学側の過大な期待も、その原因のひとつになっているのではないだろうか。
 もとより異なった研究史と研究法を背景にもった研究者達が、同じ問題意識をもとにそれぞれの研究を有機的に関連させることは、同じ歴史系諸科学においても至難の業である。
 しかしこれからの歴史研究のスタンダードなスタイルとなるであろう学際研究への期待に対し、たとえば脂肪酸分析をはじめとする優れた分析法とその結果が、もし相互で共有すべき情報の不足と言語の不一致によって誤解され、受け入れられなくなってしまったとしたら、それは今後の研究の発展にとって大きな損失ではないだろうか。
 それではどうしたらいいか。そこでこの連載では、そんな考古学と隣接諸科学をめぐる諸問題について、先に指摘した三つの原因(言語の違い・情報の不足・立脚点の違い)に注目し、それらを解決する方法について考える中で、単なる自然科学的調査を含めた協業ではなく、歴史研究の新しい学際研究の方法を模索してみたいと思っている。キーワードは、やはり考古学との関係において、現在やや停滞気味で憂慮すべき状態にはあるが、しかし途方もない可能性を秘めている、コンピュータそして情報のデジタル化である。
 
鋤柄俊夫 一九九九 『中世村落と地域性の考古学的研究』大巧社
鋤柄俊夫 一九九九 「聖武朝難波京の構造と平安時代前期の上町台地」『文化学年報』第四八輯
同志社大学考古学研究室 一九九〇 『伊木力遺跡』
寺沢 薫 一九九九 「紀元前五二年の土器はなにか」『考古学に学ぶ』
寒川旭・鋤柄俊夫 一九九八 「大坂城6A調査区検出の地震痕跡について」『大阪文化財研究』第14号