考古学と統計的分析
 異分野の研究者達から構成される共同研究や学際研究は、虚空に浮かぶ多面体に様々な方向から光を当てる作業に似ている。彼らは、各々の専門分野から、それに対し分析の光をあてる。しかしそれらは正反射して自分に帰り。ミラーボールのように乱反射して異分野と交錯する光は極めて少ない。本来まったく異なった資料と研究法を基盤とする、いわば言語の違う研究者達が、ひとつのテーマに対して総合的な分析をおこなうことは、けっして容易なことではないのである。
 しかし考古学はかつてより、このような多言語の同時翻訳とその対話を、それほど意識することなくおこなってきていた。『井辺八幡山古墳』や『騎馬民族国家』などに代表される研究書をはじめとして、これまで考古学が実に多様な要素の分析をトータルにすすめてきたかがわかる。
 例えば古墳研究は大きく墳丘・埋葬施設・副葬品のそれぞれは全く違った言葉で表現される三つの要素を同時に分析しなければならない。しかし考古学は長年の経験によって、それらの異なった要素からある種の法則を見つけだし、そこから時代や地域や被葬者の性格についても言及する。
 そのために考古学の研究者達はどのようにしてきたか。それが分類と組み合わせによるモデルの構築であり、そのモデルをつくりだす元になった数量化と統計的な手法mp採用なのである。
 例えば資料を分類するために作成する実測図はまさに3次元のアナログデータを2次元の座標で表現できるようにデジタル化する行為であって、その意味で型式学というのは数量化の一形態と言っても良いと思う。一定の規則性を前提に説明された土器の形態変化は、単純な器形であるならば、理論上それを方程式で表すこともそれほど困難なことではない。そして考古学は、それらのデータを元に資料を比較し、大きさや形そして量などをてがかりに、各自の頭の中にデータベースをつくりあげ、その中から経験的な直観によってそのものの最も特徴を示す要素と変化の法則を抽出するのである。
 このように考古学は、多言語から構成される遺跡を、数量化してそれを多変量解析的に分析することによって研究をおこなってきたのであり、それゆえ新しい学際研究に求められているのが、多言語からなる研究の総合化であるならば、その点において考古学がこれまでおこなってきた数量化と多変量解析の方法は、この問題を解決する大きな鍵になるものと、私は考える。
 ただ問題は、最初に問題意識があって、その解決のための選択肢に統計があるのではなく、最初に統計があって、それを考古資料から得られたデータにあてはめれば、という発想と思える事例が少なからずみられることである。残念なことにこれらは、統計的な手法のもっている本来の正しい成果が正当に評価されない原因となっている。加えてもうひとつの気がかりは、統計学者と考古学者との間の統計に対する見方の違いである。考古学をはじめとする歴史系の研究者は、統計の成果を認めつつも、統計から逸脱する個性が歴史に対し大きな役割を果たしていることを重視する。筆者にとってのクラスター分析も、あくまで歴史家の経験的な直観を客観化するためのひとつの手がかりであり、また歴史家の直観が重視した要素は何か、それは客観的に見て他の要素に対して有効かどうか、それを知るためにおこなうものであって、クラスター分析の結果がそのまま分類の判定になるとは考えていないのである。しかしこういった統計の利用はおそらく本来の統計学とは相容れないものであろう。
 また同様な状況はコンピュータの周辺でもみられ、無意識の中でなにかの枠組みをコンピュータのできる範囲に限定したり、デジタル化の際に発生するハード的・ソフト的な誤差の扱いについて現状は少々無頓着な気がする。
確かにヴァーチャルリアリティーという技術は、この分野でもこれまでに無い新しい研究の扉を開く可能性があり、この連載もそれを趣旨にすすめている。しかしそのプレゼンテーションの技術が高度に発達し、いよいよ現実との区別がつかなくなったとしても、あくまでそれは現実とは違うのである。そのあたりの錯覚が今後生じるのではないかといった危惧が、今少しだけある。
その意味で安易な数量化は排除しなければならず、さらに統計によって見えなくなってしまう個性はどうするのかなど、克服しなければならない問題は山のようにあるが、それらも数量化と多変量解析のプロセスを透明にしていくことにより、克服できる問題ではないかと考える。重要なのは、学際研究の方法に多変量解析の視点を入れることである。
 それではあらためて新しい学際研究を推進するための多変量解析の方法とはどのようなものか。次回はそのために必要不可欠な作業である情報の共有化とデータベースについて見ていきたいと思う。