1、鋤柄俊夫 1994 「大坂城下町にみる都市の中心と周縁」『都市空間』(中世都市研究1)新人物往来社。鎌倉での研究成果は、鎌倉考古学研究所 『中世都市鎌倉を掘る』日本エディタースクール出版部 一九九四ほか。
2、申叔舟著・田中健夫訳注 1991 『海東諸国紀』(岩波文庫)。京都市内の遺物からみたヴァーチャルな都市京都全体の研究は、拙著『中世村落と地域性の考古学的研究』(大巧社1999)でまとめている。またかつて拙稿(「平安京土師器皿の諸問題」『平安京出土土器の研究』古代学研究所 一九九四)の中で、土師器皿の出土状況の分析からこの視点の重要性を述べたことがある。
3、山田邦和 1998 「中世都市京都の変容」『都市をつくる』(中世都市研究5)新人物往来社
4、川島将生・横井清 1971 「京とその周辺」『京都の歴史』2 京都市
5、『史料遍京都の歴史』
6、京田辺市教育委員会 1999 『薪遺跡現地説明会資料』
7、黒田俊雄 1975 『日本中世の国家と宗教』岩波書店
8、『一遍聖絵』にみえる関寺・備後一の宮など
9、網野善彦1988「中世前期における職能民の存在形態」「日本中世史研究の軌跡」東京大学出版会
10、八幡市 『八幡市史』。平凡社 『京都府』(歴史地名辞典)。伊藤清郎 1976 「中世前期における石清水八幡宮の権力と機構」『文化』第40巻第1・2号 東北大学文学会。
11、石清水八幡宮 1984 『史跡松花堂およびその跡発掘調査概報』
12、八幡市教育委員会 1985 『平野山瓦窯跡発掘調査概報』
13、八幡市教育委員会 1998 『八幡市埋蔵文化財発掘調査概報』第25集
14、八幡市教育委員会 1996 『八幡市埋蔵文化財発掘調査概報』第19集
15、粟野 ばく 1956 「志水廃寺出土の瓦器」『古代学研究』」15・16号
16、星野猷二 1956 「石清水八幡宮出土の須恵質皿」『古代学研究』」15・16号
17、八幡市教育委員会 1998 『八幡市埋蔵文化財発掘調査概報』第24集
18、藤原良章 1988 「中世の食器・考」『列島の文化史』5 日本エディタースクール出版部
19、鋤柄俊夫 1995 「用途にみる土器文化の地域性」『帝京大学山梨文化財研究所報』第25号
20、橋本久和 1992 『中世土器研究序論』真陽社。なお氏は「中世男山々麓の流通拠点」(1999『研究紀要』第2号 大阪市文化財協会)のなかで、従来よりの資料整理を進めることにより、この地が北部九州から京都へ入ってくるに際しての大きな流通拠点であったことをあらためて指摘している。さらにその背景に踏み込んだ考察が期待されよう。
21、吉岡康暢 1997 「新しい交易体系の成立」『交易と交通』(考古学による日本歴史9)雄山閣出版株式会社
22、森田 勉1973「九州地方の瓦器椀について」「考古学雑誌」第五九巻第2号)
23、九州古文化研究会 1984 『古文化談叢』第14集
24。佐藤浩司 1991 「旧豊前国における古代末から中世前期の土器様相」『中近世土器の基礎研究』Z
25、中島恒次郎 1992 「大宰府における椀形態の変遷」『中近世土器の基礎研究』[
26、森 隆 1992「中世土器の生産にみる地域型の提唱と工人集団の系譜について」『中近世土器の基礎研究』[
27、森 隆 1993「土器椀の生産と流通」『中近世土器の基礎研究』\
28、鋤柄俊夫 1999 『中世村落と地域性の考古学的研究』大巧社
29、添田町教育委員会 1985 『英彦山修験道遺跡』
30、飯沼賢司 1993 「権門としての八幡宮寺の成立」『中世成立期の歴史像』東京堂出版。西岡虎之助 1928 「中古における宇佐神人の活動」『史林』第13巻第1〜4号。中野幡能 1967 『八幡信仰史の研究』吉川弘文館。大場磐雄編 1972 「弥勒寺跡」『祭祀遺跡特説』(神道考古学講座 第5巻)雄山閣
31、中山重記 1981 「宇佐宮領における均等名庄園について」・河野泰彦 1981 「弥勒寺領豊後国八坂荘について」『九州中世社会の研究会』渡辺澄夫先生古希記念事業会。櫻井成昭 1999 「古代・中世の香々地」『豊後国香々地荘の調査』大分県立歴史博物館
32、大分県宇佐風土記の丘歴史民俗資料館 1989 『弥勒寺』
33、鋤柄俊夫 1999 『中世村落と地域性の考古学的研究』大巧社
34、千々和実 1987 「八幡信仰と経塚の発生」『墳墓と経塚』(日本考古学論集 6)吉川弘文館。すでに石田茂作氏はその造営背景を修験者による勧進活動と関連づけているが(石田茂作 1957「越中日石寺裏山経塚」『考古学雑誌』42ー4)、なお最近村木二郎氏は観世音寺との関係および鋳物師集団との関係にも注目している(村木二郎 1998 「九州の経塚造営体制」『古文化談叢』第40集 九州古文化研究会)
35、藤原良章 1988 「中世の食器・考」『列島の文化史』5 日本エディタースクール出版部
36、鋤柄俊夫 1999 『中世村落と地域性の考古学的研究』大巧社
37、浅野晴樹 1991 「東国における中世在地系土器について」『歴博研究報告』第31集
38、飯村 均 1997 「平泉から鎌倉へ」『宴をめぐる日本文化の歴史的総合研究』(財団法人サントリー文化財団1996年度研究助成報告)生活史研究所
39、吉岡康暢 1997 「総括」『中世食文化の基礎的研究』歴博71集
40、脇田晴子 1997 「文献からみた中世の土器と食事」『国立歴史民俗博物館研究報告』第71集
41、吉岡康暢 「中世陶器の生産経営形態」『国立歴史民俗博物館研究報告』第一二集 一九八七
42、吉岡康暢 1990 「珠洲焼から越前焼へ」『海と列島文化』第1巻小学館
43、赤羽一郎 『海と列島文化』第 巻小学館
44、網野善彦1988「中世前期における職能民の存在形態」「日本中世史研究の軌跡」東京大学出版会
網野善彦 1994 『日本社会再考』小学館
45、平凡社 『滋賀県』(歴史地名辞典)
46、飯村均 1997 「平泉から鎌倉へ」『宴をめぐる日本文化の歴史的総合研究』(財団法人サントリー文化財団1996年度研究助成報告)生活史研究所。また平泉が日本海側の文化と関係する可能性については、白山社を介在した事例が知られていることを上野武氏よりご教示いただいた(井上正 1986 「美濃・石徹白虚空蔵菩薩坐像と秀衡伝説」『仏教芸術』)。この意味するところはあらためて詳述したい。
47、遊佐町教育委員会 1991 『大楯遺跡第3・4次発掘調査報告書』
伊藤邦弘 1996 「遊佐荘大楯遺跡について」『月刊歴史手帖』第24巻10号
48、河野眞知郎 1996 「遊佐荘大楯遺跡と鎌倉」、飯村均・八重樫忠郎 1996 「大楯遺跡再考」『月刊歴史手帖』第24巻10号
49、豊田 武 1951 「中世における神人の活動」『東北大学文学部研究年報』第1号。網野善彦 1988 「中世前期における職能民の存在形態」『日本中世史研究の軌跡』東京大学出版会。大山喬平 1988 「供御人・神人・寄人」『社会的諸集団』(日本の社会史 第6巻) 岩波書店。
50、鋤柄俊夫 1999 『中世村落と地域性の考古学的研究』大巧社
51、平安京から中世京都を考古学資料を軸に総括的にまとめた研究は堀内明博氏の著作に代表される。(『ミヤコを掘る』淡交社 一九九五)また平安京・京都研究集会では一九九五年より、墓・路・空間構造など都市京都を総括した研究報告がなされている。また山田邦和氏の「京都の都市空間と墓地」『日本史研究』nl〇九 一九九六、山本雅和氏の「中世京都の堀について」『研究紀要』第二号 京都市埋蔵文化財研究所 一九九五・「平安京の路について」『立命館大学考古学論集』T 一九九七)などもその成果の一部である。京都駅周辺地区の調査については、網伸也・山本雅和 「平安京左京八条三坊の発掘調査」『日本史研究』nl〇九 一九九六。朝日新聞社 「京都を掘る」(シリーズ二〇 都市の考古学)『アサヒグラフ』通巻三九四四号 一九九七
52、野口 実 「京都七条町の中世的展開」『京都文化博物館(仮称)研究紀要』第一集 一九八八
53、川嶋将生・横井清 「三 京とその周辺」『京都の歴史』2 京都市 一九七一
54、仲村研 「八条院町の成立と展開」『京都「町」の研究』(秋山國三共著)法政大学出版局 一九七五。川嶋将生 「東寺領八条院町の構造と生活」『中世京都文化の周縁』思文閣出版 一九九二
55、平家による日宋貿易を前提として、中国陶磁器など、とくに西方との強いつながりを示唆する遺物が出土する点もこれと矛盾しない。
56、資料編京都の歴史下京
57、脇田晴子 1981 『日本中世都市論』東京大学出版会
58、川嶋将生・横井清 「三 京とその周辺」『京都の歴史』2 京都市 一九七一
59、資料編京都の歴史下京
60、伊藤正敏 1999 『中世の寺社勢力と境内都市』吉川弘文館。伊藤正敏 2000 『日本の中世寺院』吉川弘文館
61、柴田実 1971 「神社と民間信仰」『京都の歴史』2 京都市。なお祇園と神人との関係については、脇田晴子氏の近著の中でも述べられている(脇田晴子1999『中世京都と祇園祭』中公新書)
62、石田善人 1971 「浄土と禅」『京都の歴史』2 京都市
63、藤井学 1968 「新旧仏教の教線」『京都の歴史』3 京都市
64、文化公報部・文化財管理局 1988 『新安海底遺物』(総合篇)
65、山本雅和 1995 「中世京都の堀について」『研究紀要』第2号 京都市埋蔵文化財研究所
66、山田邦和 1998 「中世都市京都の変容」『都市をつくる』(中世都市研究5)新人物往来社
67、大瀬戸町教育委員会 1980 『大瀬戸町石鍋製作所遺跡』
68、角川書店 『長崎県』地名辞典
69、山本信夫・山村信栄 1997 「九州・南西諸島」『国立歴史民俗博物館研究報告』第71集
70、工藤清泰 1995 「北日本の鉄製品」『帝京大学山梨文化財研究所報』第25号
71、桐原健 『信濃』
72、浅野晴樹氏のご教示による。
73、鋤柄俊夫 1999 『中世村落と地域性の考古学的研究』大巧社。吉岡康暢  「食の文化」『岩波講座 日本通史』第8巻中世2
74、北区鎌倉学園内遺跡発掘調査団 1980 『光明寺裏遺跡』
75、今小路西遺跡発掘調査団 1993 『今小路西遺跡発掘調査報告書』
76、千葉地遺跡発掘調査団 1982 『千葉地遺跡』
77、諏訪東遺跡調査会 1985 『諏訪東遺跡』
78、草戸千軒町遺跡調査研究所 1993〜1995 『草戸千軒町遺跡発掘調査報告』T〜W
79、鎌倉駅舎改築にかかる遺跡調査会 1984 『蔵屋敷遺跡』
80、由比ヶ浜中世集団墓地遺跡発掘調査団 1994 『由比ヶ浜4-6-9地点発掘調査報告書』
81、佐助ケ谷遺跡発掘調査団 1993 『佐助ケ谷遺跡(鎌倉税務署用地)発掘調査報告書』
82、馬淵和雄 1998 『鎌倉大仏の中世史』新人物往来社
83、瀬野精一郎 1980 「中世編一および二の第一〜三節」『長崎県史』(古代・中世編)長崎県史編集委員会
84、大瀬戸町教育委員会 1980 『大瀬戸町石鍋製作所遺跡』。なお石鍋の特異性に注目した研究は既に明治時代よりおこなわれおり、下川達彌氏によって製作工程と分布の詳しい考察がおこなわれている(下川達彌 一九九二 「西北九州の石鍋とその伝播」『東シナ海と西海文化』小学館)。また経塚製作のメカニズムと石鍋を同じ系譜で捉える視点は再考が必要だが、宗教性や中央とのつながりについても示唆されてきた部分がある(木戸雅寿 1993 「石鍋の生産と流通について」『中近世土器の基礎研究』\ほか)。
85、村野 浩ほか 1993 『元箱根石仏・石塔群の調査』箱根町教育委員会
86、川勝政太郎 1967 『石造美術入門』社会思想社
87、三輪茂雄 1994 『増補 石臼の謎』クオリ
88、千々和実 1976 「板碑」『塔・塔婆』(新版仏教考古学講座 第3巻)雄山閣出版
89、馬淵和雄 1998 『鎌倉大仏の中世史』新人物往来社
90、三上隆 1987『渡来銭の社会史』中公新書
91、滋賀県教育委員会・滋賀県文化財保護協会 1988 『敏満寺遺跡発掘調査報告書』。滋賀県教育委員会 1961 「敏満寺跡発掘調査報告」『滋賀県史跡調査報告』第12冊。多賀町教育委員会 1994 『久徳遺跡(第3次調査)・敏満寺遺跡』(多賀町埋蔵文化財発掘調査報告書 第9集)。平凡社『滋賀県』(歴史地名辞典)
92、上ノ国町教育委員会 1999 『海峡がつなぐ地域史を掘る』
93、菅原正明 1991 「根来寺出土の備前焼大甕と流通ルート」『瀬戸内の海人文化』(海と列島文化 第9巻)小学館。平凡社『和歌山県』(歴史地名辞典
94、宝珍伸一郎 1999 「白山信仰の遺跡」『考古学に学ぶ』(同志社大学考古学氏リーズ7)
95、豊田 武 1951 「中世における神人の活動」『東北大学文学部研究年報』第1号。網野善彦 1988 「中世前期における職能民の存在形態」『日本中世史研究の軌跡』東京大学出版会。
96、馬淵和雄 1998 『鎌倉大仏中世史』新人物往来社。『叡尊・忍性と律宗系集団』(2000シンポジウム「叡尊・忍性と律宗系集団」実行委員会
97、松山 宏 1991 『中世城下町の研究』近代文芸社
98、山村信栄 1997 「中世太宰府の展開」『都市と宗教』(中世都市研究4)新人物往来社
99、仁木 宏 1992 「中世都市大山崎の展開と寺院」『史林』75巻3号
100、伊藤正敏 1999 『中世の寺社勢力と境内都市』吉川弘文館
101、同志社大学校地学術調査委員会 1978 『キャンパス内の遺構と遺物』ほか