1)鋤柄俊夫「畿内における古代末から中世の土器−模倣系土器生産の展開−」(『中近世土器の基礎研究』W所収,昭和63年,高槻)。
2)京都市高速鉄道烏丸線内遺跡調査会『京都市高速鉄道烏丸線内遺跡調査年報』V(昭和57年,京都)。
3)平尾政幸『平安京右京三条三坊』(京都市埋蔵文化財研究所調査報告第10冊,平成2年,京都)。
4)伊野近富ほか「平安京跡(左京内膳町)昭和55年度発掘調査概要」(『埋蔵文化財発掘調査概報』1980所収,昭和56年,京都府教育委員会)。なお9世紀から10世紀前半の細分については,堀内明博氏などによる整理もあるが(「瓦器成立以降の平安京の土器」『中近世土器の基礎研究』所収,昭和60年,高槻),ここでは(財)古代学協会の調査資料を前提として,分類は大枠でおさめた。
5)西弘海『土器様式の成立とその背景』(昭和61年,真陽社,京都)。
6)奈良国立文化財研究所『平城宮発掘調査報告』VI(昭和49年,奈良)。
7)松岡良憲・鋤柄俊夫「垂水南遺跡発掘調査概要」(『節・香・仙』40掲載,昭和61年,大阪府教育委員会,大阪)。
8)奈良国立文化財研究所『平城宮発掘調査報告』XII(昭和60年,奈良)。
9)京都市埋蔵文化財研究所『平安京跡発掘調査概要』昭和57年度(昭和58年,京都)。
10)奈良国立文化財研究所『薬師寺発掘調査報告』(昭和62年,奈良)。
11)註10前掲書。
12)平安京調査会『平安京跡発掘調査報告書』(昭和50年,京都)。
13)岡田保良・浜崎一志「山科寺内町の遺跡調査とその復原」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第8集所収,昭和60年,佐倉)。
14)枚方市文化財研究調査会『楠葉野田遺跡現地説明会資料』(昭和62年,枚方)。
15)鋤柄俊夫「信濃における平安時代後期以降の土器様相」(『東国土器研究』第1号掲載,昭和63年,藤沢)。
16)他に鎌倉市の今小路遺跡では手捏ねの土師器皿で内底面に亀または鼠,外底面に兎または猫が描かれた資料を出土している。(広島県草戸千軒町遺跡調査研究所『第6会中世遺跡研究集会−中世のまじない−』[平成2年,福山])。
17)水野正好「まじないの考古学・事始」(『季刊どるめん』18掲載,昭和53年,東京)。
18)水野正好「人面墨書土器−その世界−」(『古代の顔』所収,昭和57年,福岡市立歴史資料館,福岡 )。
19)手塚直樹「鎌倉出土の呪術資料」(『第6会中世遺跡研究集会−中世のまじない−』所収,平成2年,広島県草戸千軒町遺跡調査研究所,福山)。
20)鈴木秀典「武士の屋敷」(『よみがえる中世』2所収,平成元年,平凡社,東京)。
21)大上裕士「草戸千軒町遺跡出土の穿孔土器」(『草戸千軒』150掲載,昭和60年,福山)。
22)註13に同じ。また,同様な考え方は東京都葛西城址の調査でもみられる。そのほか,底部尖孔の場合は甑としての利用も考えてよいだろう。
23)小田村宏『瑠璃光寺跡遺跡』(山口市埋蔵文化財調査報告第28集,昭和63年,山口)。
24)またこれらの遺構の性格を推定する際には,建物または屋敷地内におけるそれらの位置も重要な要素となる。中世京都の場合,建物配置や屋敷構造に注目した調査が困難な状況にあり,この問題は都市論としての遺構研究も含めて継続する課題とされている。なお,京都以外の例であるが,柏原遺跡群(山崎純男『柏原遺跡群』III[福岡市埋蔵文化財調査報告書第157集,昭和62年,福岡])では,区画溝を持つ屋敷地で,土師器皿の出土分布が,擂鉢・鍋などの分布と重複する場所と,土師器皿だけを出土する場所の2箇所に分けられることが示され,後者には土器溜まり遺構がみられることも指摘されている。この状況は,第一に土師器皿の一部が明らかに他の日常雑器とは違った使われ方をしたこと,土器溜まりがその結果生じた遺構であることを示すものである。しかし同時にそれが日常的な場でも使われていることも示しており,この問題が土師器皿使用の表裏を構成していることを考えさせるものとなっている。興味深い事例である。
25)「俊蔭」○かくて,御箸くだし給い,御土器はじまり,相撲出でて,五手,六手ばかりとりて。「藤原の君」○おとど物まう[の]ほれり。三脚の臺,裏くろの坏,精米に麥のおもの混ぜたり。○主もの<マイル。臺二>具,秘色の坏ども。娘ども朱の臺,かねの坏とりてまうほる。「吹上」○かくて,<種>松,大御饗仕うまつる。土器など度々になりて,思いし如と○をさに紫檀の御折敷,<四>づつして参る。大御酒参る。つかふこついしき,坏など,いと珍しく異なり。○御土器始まり,<御>箸下りぬ。○女の仕うまつル沈の折敷二十,沈の轆轤めんの御坏ども,敷物,打敷心ばへ珍らかなり。○その日の御饗,例の如したり,折敷など先々のにあらず。土器始まりて,遊び暮らす。○かくて,御折敷,前毎にまいり,机十,前毎に立てならべて,土器始まり,<御>箸下りぬ。○土器度々になりぬ。○主のぬし,土器とりて「いかに,濱のほとりの<貝甲等>に,山里の草木を聞召し,比ぶらん」少将「されど,これをのみなむ」とて,○上より始まりて,御箸くだり,御土器まいる。○かくて,御土器始まる。文人に難き題出されたり。給はりて,文作り果てて,御前に奉る。「祭の使」○御土器始まり,御箸下りぬ。○御心にまかせて物せられよとて,土器にかく書きつけ給フ。「ところ狭き身はよそなれどあそぶなる宿に心をわすれもやるかな」○かくて,土器度々になりぬ。御遊さかりなり。
26)「利仁薯預粥ノ事」(巻第1ー18)では,いもがゆを受ける際に「大きなるかはらけ」が使われ,「大太郎盗人ノ事」(巻第3ー1)では,「かはらけまいらせん」として酒をわかし,「くろきかはらけの大きなるを盃」にしている。(特に後者は「かはらけ」が所謂土師器皿を指すばかりでなく,土器一般または,述語としての意味ももっていた例となっている)また「大安寺別當ノ女ニ嫁スル男夢見ル事」(巻第9ー7)では,大きなる土器にあかがねの湯,または大きい銀の土器に銅の湯を土器に入れている。「御堂関白ノ御犬晴明等奇特ノ事」(巻第14ー10)では地中より犬が土器を掘り出したが,それは二枚を黄色の紙捻で十字にしばり中空にしたもので,その底には一文字が書いてあったという。
27)註1前掲書。野場喜子「平安時代陶磁器の使用例について」(『名古屋市博物館研究紀要』第10巻所収,昭和62年,名古屋)。同「『慕帰絵詞』の陶磁器」(『名古屋市博物館研究紀要』第13巻所収,昭和*年,名古屋)。清水菜穂「『かわらけ』考(1)」(『中世都市研究』第1号掲載,平成3年,中世都市研究会,鎌倉)。
28)脇田晴子「中世の分業と身分制」(『日本中世史研究の軌跡』所収,昭和63年,東京大学出版会,東京)。註27前掲書。
29)ただし,この文章は,(漆器の)塗「椀に平皿,壺皿,腰高」というものがあり,その形のもとになったのがかはらけと,その下に敷いた杉か桧かの台あわせた形である,という説明を主眼としたものであり,その他の内容については検討が必要でもある。
30)鈴木康之「土師質土器の用途に関する研究ノート(1)・(2)」(『草戸千軒』197・198掲載,平成元年,福山)。
31)藤原良章「中世の食器・考」(『列島の文化史』5所収,昭和63年,日本エディタースクール出版部,東京)。
32)脇田晴子「物価より見た日明貿易の性格」(『日本史における国家と社会』所収,平成4年,思文閣出版,京都)。宇野隆夫氏のご教示による。
33)原データは,註1で使用した中世京都の595遺構単位資料から土師器皿の特殊な出土状況遺構29箇所を抽出して半世紀毎に整理したもの。修正データは,抽出した上記の遺構数を時期毎に並べる際に,原資料のランダムな時期別遺構量の偏りの影響を除外するために,原資料の平均化にあわせて原データを修正したもの。スムース曲線は2点間補正でグラフの極端な凹凸を変更したもの。
34)小野正敏「中世陶磁器研究の視点と方法」(『シンポジウム 考古学と中世史研究』所収,平成2年,帝京大学山梨文化財研究所,山梨県石和町),ほか。
35)弥栄久志『苦辛城跡』(鹿児島県埋蔵文化財発掘調査報告書27,昭和58年,鹿児島)。 
36)戸崎勝洋・吉永正史『鹿児島(鶴丸)城本丸跡』(鹿児島県埋蔵文化財発掘調査報告書26,昭和58年,鹿児島)。
37)近藤 協「紙屋城址遺跡」『新村遺跡 高山遺跡 東城原第1・2・3遺跡 紙屋城址遺跡』(宮崎県野尻町文化財調査報告書第4集,平成2年,宮崎県野尻町)。
38)大田幸博『高城跡』(熊本県文化財調査報告第95集,昭和63年,熊本)。
39)大田幸博『山田城跡』(熊本県文化財調査報告第102集,平成元年,熊本)。他に竹崎城跡(熊本県文化財調査報告第17集,昭和50年),小野館(同第51集,昭和55年),濱の館跡(同第21集,昭和52年),蓮花寺跡・相良頼景館跡(同第22集,昭和52年),若宮城跡(同第23集,昭和55年),里の城(同第23集,昭和55年)
40)町田利幸・宮崎貴夫『今福遺跡』V(昭和61年,長崎県教育委員会,長崎)。
41)長崎県教育委員会・松浦市教育委員会『楼楷田遺跡』(昭和60年,長崎・松浦)。
42)天本洋一「佐賀平野の土師器(11〜16世紀)について」(『第2回中世土器検討会資料』所収,昭和63年,福岡)。徳永貞紹『本村遺跡』(佐賀県文化財調査報告書第102集,平成3年,佐賀)。
43)田平徳栄・多々良友博『特別史跡 名護屋城跡並びに陣跡』(昭和58年,佐賀県教育委員会,佐賀)。
44)菊田徹「東九州における中世土師質土器の様相」(『専修考古学』第3号掲載,昭和61年,東京)。
45)玉永光洋・小林昭彦『安岐城跡・下原古墳』(大分県文化財調査報告書第76輯,昭和63年,大分)。
46)大分県教育委員会『小田遺跡群』T(昭和63年,大分)。
47)山本信夫「大宰府における古代末から中世の土器・陶磁器」(『中近世土器の基礎研究』W所収,昭和63年,高槻)。
48)山口信義・佐藤浩司『長野A遺跡』2(北九州市埋蔵文化財調査報告書第54集,昭和62年,北九州)。
49)狭川真一『太宰府天満宮−太宰府天満宮境内地発掘調査報告書』第1集 (昭和63年,太宰府天満宮,太宰府)。
50)九州歴史資料館『大宰府史跡』昭和49年度(昭和50年,太宰府)。
51)九州歴史資料館『大宰府史跡』昭和52年度(昭和53年,太宰府)。
52)大庭康時『都市計画道路博多駅築港線関係埋蔵文化財調査報告(V)博多』(福岡市埋蔵文化財調査報告書第204集,平成元年,福岡)。他に山崎純男『柏原遺跡群』V(福岡市埋蔵文化財調査報告書第157集,昭和62年,福岡),佐藤浩司・大庭康時・佐藤一郎ほか『第2回中世土器検討会資料』(昭和63年,福岡)など。
53)中野良一「愛媛県における古代末から中世の土器様相」(『中近世土器の基礎研究』W所収,昭和63年,高槻)。
54)鋤柄俊夫「愛媛県と高知県の平安時代以降の土器について」Ver.2(『中世土器研究』第49号掲載,昭和62年,高槻)。
55)西尾幸則・栗田茂敏ほか『松山市埋蔵文化財調査年報T』(昭和62年,松山市教育委員会,松山)。西尾幸則・栗田茂敏ほか『松山市埋蔵文化財調査年報U』(昭和62年,松山市教育委員会,松山)。上田貢『南江戸鬮目遺跡』(平成3年,松山)。
56)野口光比古『瀬戸内海大橋関連遺跡埋蔵文化財調査報告書』V(昭和58年,愛媛県埋蔵文化財調査センター,松山)。
57)ほかに,宮本一夫「道後平野の中世土器編年」(愛媛大学埋蔵文化財調査報告T『鷹子・樽味遺跡の調査』所収,平成元年,松山)など。
58)高知県教育委員会『田村遺跡群第』10分冊(昭和61年,高知)。
59)松田直則「土佐における古代末から中世の土器様相」(『中近世土器の基礎研究』X所収,平成元年,高槻)。
60)大山真充「香川県西村遺跡の中世土器」(『中近世土器の基礎研究』所収,昭和60年,高槻)。
61)片桐孝浩「古代から中世にかけての土器様相−香川県における予察−」(『中近世土器の基礎研究』Y所収,平成2年,高槻)。同『中小河川大束川改修工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告 川津元結木遺跡』(平成4年,香川県埋蔵文化財研究会,高松)。
62)福家清司『中島田遺跡・南島田遺跡』(平成元年,徳島県教育委員会,徳島)。
63)吉瀬勝康 「周防における古代・中世土器の様相」(『中近世土器の基礎研究』W所収, 昭和63年,高槻)。
64)松岡睦彦『大内氏館跡』W(山口市埋蔵文化財調査報告第13集,昭和57年,山口),山口県教育委員会『下右田遺跡』(昭和55年,山口),ほか。
65)註23前掲書。
66)三宅博士・広江耕史『北松江幹線新設工事・松江連絡線新設工事予定地内埋蔵文化財発掘調査報告書』(昭和62年,島根県教育委員会,松江)。
67)三宅博士「土師質土器を伴う石鉢について」(『島根県考古学会誌』2掲載,昭和60年,松江)。松本岩雄『出雲岡田山古墳』(昭和62年,島根県教育委員会,松江)。
68)内田律雄『冨田川--飯梨川河川改修に伴う富田川河床遺跡発掘調査報告(4)』(昭和59年,島根県教育委員会,松江)ほか。
69)川原和人・桑原真治「島根県斐川町西石橋遺跡の中世墓」(『古文化談叢』第18集掲載,昭和62年,北九州)。
70)真田広幸『今倉城跡・今倉遺跡発掘調査報告書』(倉吉市文化財調査報告書第27集,昭和58年,倉吉)。
71)船井武彦ほか『桂見墳墓群』(昭和59年,鳥取市教育委員会・鳥取市遺跡調査団,鳥取)。ほかに,倉吉市教育委員会『宮ノ下遺跡発掘調査報告』(昭和52年,倉吉),鳥取市教育委員会『天神山遺跡発掘調査報告書』(平成元年,鳥取),橋本久和「山陰の古代中世土器概観」(『中世土器研究』第68号掲載,平成5年,高槻)。
72)志道和直「草戸千軒町遺跡出土の土師質土器編年試案」(『草戸千軒』48掲載,昭和52年,福山)。鈴木康之「草戸千軒町遺跡W期の土師質土器」(『中近世土器の基礎研究』X所収,平成元年,高槻)。
73)鈴木康之「鹿田遺跡出土の中世土器について」(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第3冊『鹿田遺跡』T所収,昭和63年 ,岡山大学,岡山)。岡山県教育委員会「園井土井遺跡」(『山陽自動車道建設に伴う発掘調査』4所収,昭和63年,岡山)。
74)鋤柄俊夫「岡山県における中世在地土器の器種別分布について」(『大阪文化財センター研究紀要』1所収,平成5年,大阪)。
75)姫路市教育委員会『本町遺跡』(昭和59年,姫路)。
76)中谷良一『福田天神遺跡』(龍野市文化財調査報告書W,昭和57年,龍野)。
77)村上賢治『河津館址』(兵庫県文化財調査報告第43冊,昭和62年,神戸)。
78)兵庫県立歴史博物館『特別史跡姫路城跡』(昭和59年,姫路)。
79)阿部嗣治『若江遺跡発掘調査報告書 遺物編』T(昭和58年,東大阪市文化財協会,東大阪)。笠井敏光「高屋城と古市」(『ヒストリア』113掲載,昭和61年)。下村晴文『神並遺跡』T(昭和61年,東大阪市教育委員会,東大阪)。吉村博恵『若江遺跡第25次発掘調査報告』(昭和62年,東大阪市文化財協会,東大阪)。
80)江浦 洋『日置荘遺跡(その3)』(昭和63年,大阪文化財センター,大阪)。
81)森 隆「滋賀県における古代末・中世土器」(『中近世土器の基礎研究』U所収,昭和61年,高槻)。木戸雅寿「近江における15〜16世紀の土器について」(『中近世土器の基礎研究』X所収,平成元年,高槻)。
82)森下恵介・立石堅志「大和北部における中近世土器の様相」(『奈良市立埋蔵文化財センター紀要』所収,昭和61年,奈良)。
83)渋谷高秀「野田地区遺跡整理報告」(『和歌山県埋蔵文化財情報』16掲載,昭和59年,和歌山県文化財研究会,和歌山)。渋谷高秀「紀伊11〜14世紀代 日常雑器の編年」(『和歌山県埋蔵文化財情報』17掲載,昭和60年,和歌山)。村田 弘「根来における白土器の消長」(『和歌山県埋蔵文化財情報』17掲載,昭和60年,和歌山)。佐伯和也「瓦器椀消滅以後の土師器皿の一様相」(『和歌山県埋蔵文化財情報』17掲載,昭和60年,和歌山)。
84)新田 洋「中・南伊勢における中世土師器」(『マージナル』bX掲載,昭和63年,名古屋)。同「三重における古代末〜中世にかけての土器様相」(『マージナル』bX掲載,昭和63年,名古屋)。
85)佐藤公保「中世土師器研究ノート(1)」(『愛知県埋蔵文化財センター年報』昭和60年度掲載,昭和61年,愛知県弥富町)。同「中世土師器研究ノート(2)」(『愛知県埋蔵文化財センター年報』昭和61年度掲載,昭和62年,愛知県弥富町)。東海埋蔵文化財研究会『第5回東海埋蔵文化財研究会 清洲』(昭和63年,名古屋)。
86)都竹清隆『江馬氏城館跡発掘調査概報』(昭和54年,神岡町教育委員会,岐阜県神岡町)。
87)吉田英敏『美濃市西南部古窯址群』(平成元年,美濃市教育委員会,美濃)。
88)宇野隆夫「美濃各務原市採集の戦国期土師器」(『史林』第70巻第3号掲載,昭和62年,京都)。
89)朝倉氏遺跡調査研究所『特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡』の各報告。久保智康・岩田 隆「越前における中世土器の様相」(第1回北陸中世土器研究会資料『北陸の中世土器・陶磁器・漆器』所収,昭和63年,富山)。宝珍伸一郎『白山平泉寺 南谷坊院跡発掘調査概報T』(勝山市埋蔵文化財調査報告第7集,平成2年,勝山)。
90)田島正和「加賀における中世土器の様相」(第1回北陸中世土器研究会資料『北陸の中世土器・陶磁器・漆器』所収,昭和63年,富山)。藤田那雄「中世土器素描」(『北陸の考古学』U所収,平成元年,石川考古学研究会,金沢)。
91)四柳嘉章『西川島』(昭和62年,穴水町教育委員会,石川県穴水町)。
92)宇野隆夫「越中弓庄城跡の土師器」(『大境』10掲載,昭和61年,富山)。
93)坂井秀弥ほか 『上新バイパス関係遺跡発掘調査報告U 新井市壺ノ内館跡』(新潟県埋蔵文化財調査報告書第44集,昭和61年,新潟)。
94)坂井秀弥ほか『国道116号埋蔵文化財調査報告書 三島郡出雲崎町番場遺跡』(新潟県埋蔵文化財調査報告書第48集,昭和62年,新潟)。
95)遠藤孝司ほか『馬場屋敷遺跡等発掘調査報告書』(白根市文化財調査報告2,昭和58年,白根)
96)高橋 保『北陸自動車道糸魚川地区発掘調査報告書V 立ノ内遺跡』(新潟県埋蔵文化財調査報告書第49集,昭和63年,新潟)。
97)鋤柄俊夫「中世信濃における陶磁器の産地構成と流通」(『信濃』第38巻第4号掲載,昭和61年,松本)。同「信濃における平安時代後期以降の土器様相」(『東国土器研究』1掲載,昭和63年,藤沢)。
98)大竹幸恵・宮坂 清『殿村・東照寺址遺跡』(平成2年,下諏訪町教育委員会,長野県下諏訪町)。
99)佐久市教育委員会『大井城跡』(昭和61年,佐久)では16世紀に比定されるロクロ成型の土師器皿が大量にみられる。また上田市教育委員会『塩田城跡発掘調査報告(第1次)』ほか(昭和51年,上田)からも同様なロクロ成型の資料が出土している。
100)末木 健「平安時代以降の土師質土器の編年について」(『信濃』第28巻第9号,昭和51年,松本)。
101)長沢宏昌『笠木地蔵遺跡』(山梨県埋蔵文化財センター調査報告第12集,昭和60年,甲府)。
102)八巻与志夫『金生遺跡T』(山梨県埋蔵文化財センター調査報告第39集,昭和63年,甲府)。
103)大石佳弘『道場田・小川城遺跡』(焼津市埋蔵文化財発掘調査報告書U,昭和61年,焼津)。
104)大江正行 「群馬県と周辺地域の中世土師質土器皿」(『群馬考古通信』第7号, 昭和55年,群馬県考古学談話会,群馬県富士見村)。
105)安田龍太郎「中世土師器と内耳土器」(『野州史学』第5号掲載,昭和56年,栃木)。
106)木津博明ほか『上野国分僧寺・尼寺中間地域』(昭和61年,群馬県教育委員会・群馬県埋蔵文化財調査事業団,群馬県北橘村)。なお東京の資料については,東京大学遺跡調査室『法学部4号館・文学部3号館建設地遺跡』(東京大学遺跡調査室発掘調査報告書2,平成2年,東京),荒川正夫「東京都新宿区「下戸塚遺跡」の中世遺構について」(『中世土器研究』第63号掲載,平成3年,高槻)など。
107)服部実喜「中世都市鎌倉における出土かわらけの編年的位置づけについて」(『神奈川考古』第19号,昭和59年,藤沢)。同「南武蔵・相模における中世の食器様相(1)」(『神奈川考古』第28号,平成4年,横浜)。
108)浅野晴樹「関東における中世在地産土器について」(『研究紀要』第4号所収,昭和63年,埼玉県埋蔵文化財調査事業団,**)。同「東国における中世在地系土器について」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第31集所収,平成3年,佐倉)。
109)塚田良道『忍城の発掘調査』(行田市郷土博物館研究報告Vol.1,平成元年,行田市郷土博物館,行田)。
110)田代 隆ほか『自治医科大学周辺地区昭和63年度埋蔵文化財発掘調査概報』(栃木県埋蔵文化財調査報告第104集,平成元年,宇都宮)など。
111)岩上照朗ほか「東野田遺跡」(栃木県埋蔵文化財調査報告第95集『一般国道4号(新4号国道)改築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査の経過』所収,昭和63年,宇都宮)。
112)秋元陽光ほか『大町遺跡』(上三川町埋蔵文化財調査報告第5集,昭和60年,栃木県上三川町)。
113)中山雅弘「福島県における中世土器の覚書」(『東洋文化研究』第4号掲載,昭和60年,いわき)。同「福島県における中世土器の様相」(『東国土器研究』第1号掲載,昭和63年,藤沢)。同「福島県の手づくねかわらけ」(『いわき地方史研究』第29号掲載,平成4年,いわき)。
114)山口了紀ほか『金ヶ崎バイパス関連遺跡発掘調査報告書T』(岩手県埋文センター文化財調査報告書第18集,昭和56年,岩手県都南村)。高橋信雄ほか『岩手の土器』(昭和57年,岩手県立博物館,盛岡)

115)本沢慎輔「柳之御所跡関連資料」(『シンポジウム「土器からみた中世社会の成立」』所収,平成2年,高槻)など。
116)工藤哲司『柳生』(仙台市文化財調査報告書第95集,昭和61年,仙台)。
117)工藤清泰「北日本・浪岡城戦国城館の中世遺物」(『東国土器研究』第1号掲載,昭和63年,藤沢)。同『浪岡城跡』\(昭和63年,浪岡町教育委員会,青森県浪岡町)など。その他東北・北海道の資料については,浅野晴樹「関東における中世在地産土器について」(註108前掲),参照。
118)鋤柄俊夫「信濃における平安時代後期以降の土器様相」(『東国土器研究』第1号,昭和63年,藤沢)。
119)浅野晴樹「関東における中世在地産土器について」(註108前掲)。
120)鋤柄俊夫ほか『丹上遺跡(その2)』(昭和61年,大阪府教育委員会・大阪文化財センター,大阪)。
121)鶴間正昭「奈良時代赤色塗彩土師器の様相とその意味」(『古代学研究』122掲載,平成2年,大阪)。林部 均「東日本出土の飛鳥・奈良時代の畿内産土師器」(『考古学雑誌』第72巻1号掲載,昭和61年,東京)。同「律令国家と畿内産土師器」(『考古学雑誌』第77巻4号掲載,平成4年,東京)。同「西日本出土の飛鳥・奈良時代の畿内産土師器」(『考古学研究』155掲載,平成4年,岡山)。
122)河野真知郎「鎌倉における中世土器様相」(神奈川考古第21号『シンポジウム古代末〜中世における在地系土器の諸問題』所収昭和61年,高槻)。百瀬正恒・橋本久和「中世平安京の土器様相と各地への展開」(『考古学ジャーナル』299掲載,昭和63年,東京)。
123)中山雅弘「福島県の手づくねかわらけ」(註113前掲)。
124)鋤柄俊夫「土器碗と木器椀」(同志社大学考古学シリーズV『考古学と生活文化』所収,平成4年,同志社大学考古学シリーズ刊行会,京都)。
125)金井典美「長野県霧ケ峰旧御射山祭祀遺跡調査概報」(『考古学雑誌』第46巻第1号掲載,昭和40年,東京)ほか。
126)もちろん鎌倉・平泉・北陸などの場合は,この条件に宗教性以外の儀式使用および日常使用も付加することが可能であり,それを総体として都市性と表現することも可能であろう。
127)網野善彦「中世前期の瀬戸内海交通」(『海と列島文化』第9巻所収,平成3年,小学館,東京)。
128)村井章介「中世の水運と港町」(『考古学からみた瀬戸内の流通』所収,平成4年,広島県立歴史博物館,福山)。
129)浅野晴樹「東国における中世在地系土器について」(註108前掲)。
130)ただし16世紀代の状況はより複雑である。同じ地域でありながら手捏ね京都型・在地型,ロクロ皿を使う遺跡が分けられ,しかも畿内を除き,手捏ね皿の場合はロクロ皿と共用される場合が多い。宗教性以外の要素が居住者の立場にまで立ち入って,ミクロ的な単位で錯綜していた可能性がある。その意味で城館単位での都市性の表現をまったく否定することはできない。
 なお第*図作成に際して下記の文献も参考としている。
 田熊清彦・梁木 誠「栃木県の黒色土器」(『東国土器研究』第3号掲載,平成2年,藤沢)。
 木本元治「福島県内の黒色土器」(『東国土器研究』第3号掲載,平成2年,藤沢)。
 高野芳宏「宮城県における9〜13世紀の土器」(『シンポジウム「土器からみた中世社会の成立」』所収,平成2年,高槻)。
 三浦圭介「日本海北部における古代後半から中世にかけての土器様相」(『シンポジウム「土器からみた中世社会の成立」』所収,平成2年,高槻)。