1 西 弘海 1986 「土器様式の成立とその背景」真陽社
2 宇野隆夫 1984 「後半期の須恵器」「史林67-6」
1985 「古代的食器の変質と特質」「日本史研究280」
3 広瀬和雄 1986 「中世への胎動」「岩波講座日本考古学6」
4 橋本久和 1980 「中世土器の地域色と流通」「考古学研究26-4」
          「中世土器の地域色と流通(補論)」「考古学研究27-2」他
5 橋本久和 1987 「中世土器の製作技法ノート(1)」「中近世土器の基礎研究V」日本中世土器研究会
6 菅原正明 1982 「畿内における土釜の製作と流通」「文化財論叢」
       1983 「畿内における中世土器の生産と流通」「古文化論叢」
7 吉岡康暢 1981 「中世陶器の生産と流通」「考古学研究27-4」
          「中世陶器の生産と流通(二)」「考古学研究28-2」
8 荻野繁春 1985 「西日本における中世須恵器系陶器の生産資料と編年」「福井考古学会誌3」
1986 「近畿地方における中世の須恵器」「東洋陶磁14」
9 中野晴久 1984 「知多古窯址群における中世陶器成形技法の再検討」「知多古文化研究T」ではその整形法を主として小型製品系の窯としている。あるいは「高台付き捏鉢」(拙稿1985「中世信濃の東海系移入雑器」「考古学と移住・移動」同志社大学考古学研究室)
10 拙  稿 1987 「中世前期における大阪府南部の甕生産」「考古学と地域文化」同志社大学考古学研究室
11 大阪府教育委員会 1982 「大園遺跡発掘調査概要・Z」
12 (財)八尾市文化財調査研究会 1984 「木の本遺跡」
13 (財)大阪市文化財協会 1983 「長原遺跡発掘調査報告V」
14 大阪府教育委員会 1985 「大和川今池遺跡発掘調査概要・U」
15 前川 要 1984 「猿投窯における灰釉陶器生産最末期の諸様相」「瀬戸市歴史民俗資料館研究紀要V」
16 稲垣晋也 1968 「瓦器椀の成立と展開」「日本歴史考古学論叢2」
17 田中 琢 1970 「古代中世における手工業の発達 1窯業 (4)畿内」「日本の考古学Y」
18 小笠原好彦 1971 「丹塗土師器と黒色土師器」「考古学研究18-2・3」
19 白石太一郎 1969 「いわゆる瓦器に関する二・三の問題」「古代学研究54」
20 森村健一 1981 「第2節 堺市内出土黒色土器について」「堺環濠都市遺跡(堺市文化財調査報告第7集)」
21 巽淳一郎 1985 「3土器-旧平城京域における平安時代の土器とその変容-」「平城宮発掘調査報告]U」奈良国立文化財研究所
22 橋本久和 1986 「畿内の黒色土器(1)」「中近世土器の基礎研究U」
23 杯型から椀型へ変化する傾向を前提として口径と器高のバランスをみたとき、当類に該当する資料でありながら体部の形態が直線的または口縁部を屈曲させる資料がある。これらの群に対して本来Tb・c等の分類が必要であるが、今回その規定に至らなかった。
24 大阪府教育委員会 1978 「挟山遺跡・軽里遺跡発掘調査概要」
25 豊中市教育委員会 1986 「服部遺跡発掘調査報告書」
26 大阪府教育委員会 1986 「垂水南遺跡発掘調査概要」「節・香・仙40」
27 京都市高速鉄道烏丸線内遺跡調査会 1980 「京都市高速鉄道烏丸線内遺跡調査年報U」
28 (財)京都市埋蔵文化財研究所 1982 「平安京発掘調査概報」
29 (財)京都市埋蔵文化財研究所 1978 「平安京発掘調査概報」
30  京都府教育委員会 1980「平安京跡(左京内膳町)昭和55年度発掘調査概要」(『埋蔵文化財
発掘調査概報』)
31 大阪府教育委員会・(財)大阪文化財センター    「巨摩・若江北(その2)」井戸19
32 大阪府教育委員会・(財)大阪文化財センター 1988 「日置荘遺跡(その3)」
33 大阪府教育委員会 1985 「北岡遺跡発掘調査概要」「大阪府文化財調査概要1984年度」
34 無高台の土師器杯としては井原ノ里遺跡86−2区Gトレンチピット出土資料等が知られる。泉佐野市教育委員会1987「泉佐野市埋蔵文化財発掘調査概要Z」
35 大阪府教育委員会 1981 「東阪田遺跡」
36 平安京調査会 1975 『平安京跡発掘調査報告書』
37 但し同報告でその例としている資料は、おそらく後述するA類の一部で白色を呈するものと考えられる。
38 同志社大学校地学術調査委員会 1978『同志社キャンパス内出土の遺構と遺物・資料編 2』
39 すなわち、後述する諸機関の研究においても問題とされる認識の差は、大方において資料の分類ではなく複数型式を包括する一括資料内でのセットとしての時期認定に帰属する場合が多く、その問題は同氏の整理の中で既に「擬共存」として指摘されていた事情に起因するものであると考えるからである。
 ただし、京都における土師器皿編年の有効な地理的範囲は、原理的に想定される都市京都の枠を超えて、時期が限定される上に点的ではあると考えるが広義では畿内を超えた広い範囲で分布することが指摘されてきた。当資料の単なる供膳具以外の性格を付加して整理する必要があろう。
40 伊野近富他 1980 「平安京跡(左京内膳町)昭和55年度発掘調査概要」(『埋蔵文化財発掘調査概報』)京都府教育委員会 
41 横田洋三 1981 「出土土師器編年試案」『平安京跡研究調査報告第5輯』古代学協会
42 宇野隆夫他 1981 「京都大学埋蔵文化財調査報告U」京都大学埋蔵文化財研究センター
43 京都市高速鉄道烏丸線内遺跡調査会 1982 「京都市高速鉄道烏丸線内遺跡調査年報V」
44 京都市 1983『史料 京都の歴史 第2 巻 考古』
45 堀内明博 1985 「瓦器成立以降の平安京の土器」「中近世土器の基礎研究」
  他に横田洋三氏は「土師器皿の分類と編年」1984「平安京跡研究調査報告第11輯」(財)古代学協会、「土師器皿(Bタイプ系)の器形、規格の変化と製作技術について」1984「平安京跡研究調査報告第12輯」(財)古代学協会を報告している。
46 中世京都土師器皿分類の比較対称表
47 実年代の背景について
  973年は薬師寺西僧坊焼失(奈良国立文化財研究所 1987 「薬師寺発掘調査報告」)
  1091年は寛治五年銘須恵器鉢(註36)
  1130〜1148年は土御門内裏災害記事(註40)
  1236年は後述する大饗次第の記事(註 )
  1532年は山科本願寺焼失(岡田保良・浜崎一志 1985 「山科寺内町の遺跡調査とその復原」「国立歴史民俗博物館研究報告第8集」等
48 藤原良章 1988 「中世の食器・考」「列島の文化史5」日本エディタースクール出版部
49 伊野近富 1987 「「かわらけ」考」「(財)京都府埋蔵文化財調査研究センター五周年記念論集」
50 引用文献
1  続群書類従 249 17 続群書類従 968 33 続群書類従 658 49 群書類従  413
2  東京大学所蔵文書  18 山城醍醐寺文書 34 群書類従  414 50 続群書類従 663
3 群書類従  470 19 山城仁和寺文書 35 群書類従  409 51 群書類従  410
4  群書類従  451 20 続群書類従 365 36 続群書類従 658 52 続群書類従 660
5 続群書類従 967 21 仁治三年内宮仮殿記 37 群書類従  410 53 群書類従  407
6 続群書類従 303 22 山城醍醐寺文書 38 続群書類従 660 54 続群書類従 683下
7 続群書類従 257 23 続群種類従 295 39 続群書類従 563 55 続群書類従 662
8 続群種類従 260 24 続群書類従 969 40 群書類従  414 56 群書類従   868
9  続群書類従 923 25 群書類従  364 41 群書類従  503 57 続群書類従 661
10 続群種類従 269  26 群書類従  310 42 群書類従  411 58 続群書類従 663
11 続群書類従 292 27 群書類従  502 43 続群書類従 564 59 続群書類従 563
12 平安遺文3817  28 続群書類従 492 44 続群書類従 659 60 群書類従  367
13 群書類従  473 29 金沢文庫文書 45 群書類従  406 61 日本古典文学体系P510
14 三代制符  30 続群書類従 296 46 群書類従  407 62 日本古典文学体系P255
15 群書類従 522 31 群書類従  361 47 続群書類従 933 63 日本古典文学体系P438
16 続群書類従 294 32 続群書類従 681下 48 続群書類従 685
51
一 略定 御佛供 赤御佛供十二坏 初夜坏別
  黒一升
  白佛供八坏 日書坏別
 黒八合
已上廾坏内 白二赤三 承仕二人 白一赤二 ・仕等中給之、
        中給之、
白一赤二 分出之、 白三赤五 預等中給之、
              (建長8年・1256 北斗御修法用途注文案)

大饗次第の比較
建暦二年大饗次第(1212) 大饗次第(嘉禎二年・1236)
略 略
次六献。
次主人勤盃非参議。大弁。 主人勤盃非参議。大弁。
次給史生以下禄。 給史生等禄。
次知家事唱見参案主給之。略 略
次撤一世源氏座敷東廣庇東向戸下。
次敷菅圓座於南簀子。  敷圓座於南簀子。
次主人以下移着穏座。 次公卿移着穏座
主人出我座間着第一圓座。
弁少納言退候渡殿。上官不動座。
敷召人座。
召人着座。
                      居召人衝重。
次居肴物。 居公卿肴物。

此間敷召人座於南階前砌溜南紫帖二枚。
次給同衝重。
次勤盃。 傳盃諸大夫。 勤盃。中納言。
瓶子殿上人。五位。 瓶子。殿上人五位。
召人座同勤盃。 次五位厚尚。 召人座勤盃。
勤盃。 次五位。
瓶子。 六位衛府。 瓶子。 衛府官人。
次居削氷。可居白折敷建仁例絵折敷。 公卿座居削水(氷カ)。居折敷
白土器。
52 土師器皿の用途に関わる問題であるが、回転台成形の製品を主体とする関東にあって鎌倉でみられる手捏ねの土師器は白土器だけでなくA類模倣もみられ、このA類系の製品は12〜13世紀を中心として愛知・長野・北関東の一部・平泉等でもみられるものである。
53 稲垣晋也 1963 「赤土器・白土器」「大和文化研究8−2」
54 註49
55 森下恵介・立石堅志 1986 「大和北部における中近世土器の様相」「奈良市埋蔵文化財調査センター紀要」
56 山根有三・熊倉功夫 1981 「テレビ大学講座日本の生活文化史」旺文社
57 「貞丈雑記」には「大草殿相伝書」をひき、「三ど入より少ほそく平かうよりはふとし」の記載がある。また「大草殿より相傳之聞書」には「一 かはらけ三ツたての時は。あひの物たるべし。あひの物とは。三ど入よりすこしほそく平かうよりはふとし。」とある。
58 宇野隆夫 1978 「京大病院遺跡出土の土器」『京都大学構内遺跡調査研究年報』京都大学埋蔵
文化財研究センター
59 菅原康夫 1978 「中世」『常磐井殿町遺跡発掘調査概報』同志社大学校地学術調査委員会
60 註42
61 菅原正明 1983 「畿内における土釜の製作と流通」『文化財論叢』奈良国立文化財研究所
62 浜崎一志 1984 「京都大学病院西構内遺跡調査研究年報』京都大学埋蔵文化財研究センター
63 
土釜土鍋及び生産地編年による移入土器陶磁器の時期別数量(50年編年)
時期の細分による資料数の配分は土師器皿編年で示した各期の資料数の比率に対応させた。
  合計数量
64 下の表とグラフは調理具である鍋・釜・摺鉢を抽出した結果である。おそらく土師器皿に次いで生活必需品である同製品はそれ故、時期に関わらない使用が推定できる。これに対して資料は、鉄製品と信楽・丹波窯製品の普及をみるであろう16世紀代を除き、概ね鍋・釜の単位時期あたりの数値は11または16を中心とし、摺鉢の数値は11を中心としている。いまこの数値の背景を想定すると、鍋・釜・摺鉢を1個づつ所有する家族において、摺鉢と鍋・釜合計値の関係は摺鉢を1個消費する時間で鍋または釜が約1.4個消費されることを示す。他資料での検証が行われていないため、あくまで予想ではあるが須恵器と瓦質製品の耐用期間についてひとつの目安になるであろうか。
 
65 尾上 実 1985 「大阪南部の中世土器」「中近世土器の基礎研究」
66 大阪府教育委員会・(財)大阪文化財センタ− 1986 「松原市観音寺遺跡第二次発掘調査概要」
67 
    観音寺遺跡出土の瓦器椀数量表
  クラスター分析による群の分類と平均
69 尾上 実 1983 「南河内の瓦器椀」「古文化論叢」
70 竹田政敬 1987 「宇陀における瓦器についての覚書」「能峠遺跡群U」奈良県立橿原考古学研究所
71 拙 稿 1988 「大阪府下における中世後期の土器」「摂河泉文化資料」
72 橋本久和 1986 「畿内産瓦器の分布からみた中世の流通」「中近世土器の基礎研究U」
73 松本新八郎 1956 「南北朝の内乱」『中世社会の研究』東京大学出版会
74 永原慶二 1985 「中世の社会構成と封建制」「講座日本歴史」東京大学出版会
75 佐藤新一 1974 「南北朝の動乱(日本の歴史9)」中公文庫
76 網野善彦 1986 「中世再考」日本エディタースクール出版部
77 佐々木銀弥 1972 「中世後期の商品流通」「産業の分化と中世商業」『中世商品流通史の研究』法政大学出版局
78 浅香年木 1971 「日本古代手工業史の研究」法政大学出版局
   1980 「中世の技術と手工業者の組織」「岩波講座日本歴史6」
79 吉岡康暢 1987 「中世陶器の生産経営形態」「国立歴史民俗博物館研究報告12」
1988 「北東日本海域における中世窯業の成立」「国立歴史民俗博物館研究報告16」
80 脇田晴子 1981 「日本中世都市論」東京大学出版会
81 脇田晴子 1988 「中世の分業と身分制」「日本中世史研究の軌跡」東京大学出版会
82 木内正広 1977 「鎌倉幕府と都市京都」「日本史研究175」
83 藤澤良祐 1983 「後論」「瀬戸市歴史民俗資料館研究紀要U」
84 註8
85 前章で述べたように伊野近富氏は中世京都土師器皿の白色系製品について広域流通品の評価を与えている。小稿ではこれに否定的な考えを示したが、陶器製品以外で和泉型瓦器椀・瀬戸内中部の土師器椀・北部九州の瓦器椀等の生産構造にはあるいは適用が可能かもしれない。
86 福田健司 1987 「須恵系土師質土器について」「日野市落川遺跡調査概報X」他
87 吉瀬勝康 1987 「周防における古代中世土器の様相」「第6回中世土器研究集会」資料
88 松山市教育委員会 1987 「石井幼稚園遺跡」「松山市埋蔵文化財調査年報T」
89 谷口俊治 1987 「豊前国企救郡における中世土器成立の契機について」「東アジアの考古と歴史」
90 ヘラ切りから糸切りへの転換または、円盤上あるいは疑似高台状の底部と底部際を内彎して成形する形態等。
91 拙  稿 1988 「信濃における平安時代後期以降の土器様相」「東国土器研究1」
92 大和では平城京関係以外に前栽遺跡井戸跡2・3の資料が代表とされる(天理市教育委員会1987)。なお、図23作成にあたり参考とした文献は既出以外に下記の通りである。森 隆1986「滋賀県における古代末・中世土器」・武内雅人1986「和歌山県における9〜11世紀の土器」・中近世土器の基礎研究U・、渋谷高秀1985「紀伊 11〜14世紀代 日常雑器類の編年−有田郡を中心に−」・和歌山県埋蔵文化財情報17・、森内秀造1986「平安時代の窯業生産−播磨地方の須恵器生産を中心に」・歴史における政治と民衆・、森内秀造他1986・相生市・緑ケ丘窯址群・兵庫県教育委員会、石井清司1983「篠窯址群出土の須恵器について」・京都府埋蔵文化財情報7・、中村 浩他1983・札馬・大谷女子大学資料館
93 楢崎彰一 1967 「古代・中世における生産上の諸問題」「日本の考古学Y」河出書房新社
94 前掲書註79
95 中野栄夫 1986 「日本中世史入門」雄山閣
  坂本賞三 1978 「王朝国家体制成立の論証方法について」「日本歴史366」
  河音能平 1971 「中世封建制成立史論」東京大学出版会
  泉谷康夫 1973 「坂本賞三著「日本王朝国家体制論」」「史林56-1」他
96 広瀬和雄 1988 「考古五」「史学雑誌1987年の歴史学会−回顧と展望−97-5」